はじめまして、トシです。

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はじめまして、トシです。

はじめまして、日本アトピーZERO機構の
運営をしているトシです。

このサイトでは、アトピーを治すことを
中心として情報を日々発信しています。

はじめての方は、

「トシって誰?」

「なんでアトピーについて
情報を発信しているの?」

と疑問に感じることが
多々あると思うので、

簡単に自己紹介をさせて下さい。

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イジメられ内向的な少年時代

僕は男5人兄弟の末っ子として
この世に生を与えられました。

幼い頃からアトピーで肌が荒れ
ステロイド薬を塗りながら
日常生活をおくっていました。

小さい頃というのは、誰しもが
思ったことをストレートに
表現すると思います。

なので、アトピーで肌が荒れていた僕は
周りの同級生から、

「カサカサ君」
「ゾンビ!」

などと言葉の暴力を受けていました。

そういった影響もあり、
基本的に人見知りの性格で
自分から誰かに話しをしたり
遊びを誘うことはありませんでした。

なので、

子供らしく皆で外で遊ぶことは少なく
図書館で借りた恐竜図鑑を見ながら
スケッチブックに恐竜の絵を描き、
完成したら母親に見せていました。

絵を見せた時に笑うお母さんの顔が
とても嬉しかったのです。

そんな内向的な僕であっても
受け入れてくれる子はいるもので

小学校1年生の頃には
同じく絵を書くことが好きな
内向的な少年と仲良くなりました。

家もかなり近所だったので
よく虫などを観察しながら
スケッチをしていました。

あまり友達の居なかった自分にとって
気軽に話し合える友人の存在は
とても大きなものでした。

この1人の友人のおかげで
徐々に人と接することを覚えていき
学年が上がるごとに少しずつですが
友達が増えていきました。

アトピーに関しては薬を使っていたので
大きく荒れることは少なかったです。

ただ、それでも日によっては
アトピーが酷くなってしまい
学校を休むことになったり、

朝起きると、掻いた部分が出血していて
パジャマに張り付いた状態で
固まっていました。

パジャマを脱ごうとすると、
皮膚と服の間にある血の固まりが
『ビリビリッ』と剥がれていき
猛烈な痛みを感じていました。

朝起きた後のこの時間が
本当にイヤでした。

皮膚科には大体1ヶ月に1、2回ほど
母親と一緒に通っていて
ステロイド薬をもらっていました。

医者からは、

「大人になったら治るからね〜」

と言われていたので、
その言葉が心の支えとなっていました。

「大人になればアトピーに悩まず
楽しく生きられるんだ!」

そう信じていました。

そんな生活を小学校1年〜6年までの
6年間過ごすことになりました。

人生に絶望した中学1年生

小学校を卒業した後は
地元に中学校に入りました。

中学生にもなったということで
皮膚科には1人で行ってみたら?

と母親から言われたので
初めて一人でいつもの皮膚科へと
診察をしに向かいました。

診察室に入ると、

いつものように、

「最近の調子はどうですか?」

という話しが始まり、容態を見ながら
処方する薬を伝えられました。

「それじゃ、お大事にね。」

と医者が発言し、診察が終わる時に
ふと、前々から疑問に思っていたことを
質問してみることにしました。

「あの、すみません。
僕のアトピーはいつになったら
治るのでしょうか?」

一瞬、場の空気は凍ったかのように
冷たい雰囲気が流れていき
医者の表情から笑顔が消えていました。

そして、すぐさま笑顔を作り

「君のアトピーは
完全に治ることは無いと思う。

大抵、子供のアトピーは
成長とともに治るのだけれど
君の場合は難しい。

これからも薬を塗りながら
上手に付き合っていくしかない。」

と言われました。

その言葉を言われた時、
今まで信じていた

「大人になったら治る」

という希望が消えてしまい
一生アトピーを抱えながら
生きていくしか無いのか…

絶望を感じました。

『一生 アトピー』

という言葉は、

当時の僕にとっては
重すぎる言葉でした。

何だか肩の力が抜けて

「あぁ〜自分の人生はこんなものか。

夏になったら海で遊んだり
冬になったら温泉旅行に行くなんていう
楽しみを味わうことなく終わるのか。」

そう思いました。

それからの中学校生活から
高校生までは薬を塗りながら
学生生活を送っていました。

アトピーは多少なりともありましたが
彼女ができたり、信頼できる友人など
人との繋がりを感じることができました。

大学生になるタイミングになると
僕はネット大学を受けることにしました。

ビジネス・ブレークスルー大学という
マッキンゼー出身の大前研一さんが
校長を勤めるネット大学です。

この大学はネット環境とPCがあれば
どこでも受講することが可能になっていて

経営論や問題解決スキル、英会話など
グローバルに活躍できる優秀な人材を
教育することを目的としています。

大学に進学しようと考えた時に
はじめは一般の大学に進む予定でしたが

正直なところ、センター試験の成績が悪く
来年に向けて浪人する覚悟でいました。

そんな時、

兄からこの大学を教えてもらい
非常に興味を感じたので
こちらに進学しました。

実際に大学のキャンパスに通う
ということをする必要はなく
パソコンがあれば受講可能なので、

基本的に自宅に居ながら
講義を受けたり宿題を提出していました。

脱ステをするしか思いつかなかった…

この時期に、僕はある挑戦をしました。

それは、

ステロイドを全く使わない。

ということです。

いわゆる、脱ステと呼ばれる方法です。

基本的に家に居ながらでも
授業を受けることができるので
アトピーを完治させるには
絶好の機会でした。

実際に脱ステを行ってみたのですが
まさに『地獄』でした。

薬の使用を止めた途端から
徐々に肌は荒れていき、
ジュクジュクとした湿疹が増え
痒みで夜も寝れない状況になりました。

それでも、アトピーが治るならばと思い
必死で耐えながら生きていましたが
結局、効果は感じられませんでした。

途中、ステロイドを使わずに
アトピー治療をしているという
個人の病院を訪ねて、

漢方薬を試してみた時期もありますが
値段の高さと効果の薄さから
長くは続きませんでした。

結局、

『どうしたらアトピーが治るのか』

ということが全く分からず
昔のようにステロイドを使う日々へと
戻ることに決めました。。。

海外でアトピーが治った不思議体験

そんな時、兄の友人からの紹介で

「海外で一定期間働いてみないか?」

との誘いがありました。

場所はフィリピンのセブ島で
南国のリゾー地として有名な場所です。

アトピーのこともあったので
少し不安な気持ちはあったのですが

海外という未知の可能性に惹かれ
英語もろくに話せない状況でしたが
新しい環境へと飛び込みました。

海外での生活は非常にエネルギッシュで
今までの価値観がガラガラと崩れ去り
とても良い経験となりました。

ふと気がつくと、

なぜかアトピーは無くなっており
当時は本当に疑問でした。

その後、いろいろなご縁があり
中国の珠海という場所に向かい
働くことになりました。

こちらもアトピーは出ること無く
肌がキレイなまま生活ができました。

当時の僕は、

「よく分かんないけど
アトピーが治ったみたいだな」

と思っていました。

そして、

そのまま就業期間が終わり
日本に帰国しました。

すると、

アトピーがまた悪化したのです。

せっかく海外で
アトピーが治ったのに

なぜか日本に変えると
アトピーが出るのです。

この経験と通して、

・アトピーを治せる可能性があること
・日本にアトピーを悪化させる何らかの要因が存在すること

が分かりました。

あなたのアトピーは治せる可能性がある

そこから、海外の生活を思い出しながら
日本でアトピーを治す方法を
模索し始めました。

その結果、

あれだけ酷かったアトピーが
かなり改善させる事が出来たのです。

まだまだ、全ての湿疹や痒みが
完璧には改善していないので
アトピーが完治したとは言えませんが、

アトピーには必ず原因があり
その原因を改善させれば
治せるものなのだと確信しています。

今もしも、アトピーで悩み
人の目線や表情を気にしながら
生活を送っているのであれば

このサイトに書かれている内容は
必ずアトピーに役立ちます。

僕自身が自分の体を通して
実践し効果を感じたものだけを
詳しく解説しているからです。

僕と同じように
アトピーが酷い状態であっても
必ず改善させることができます。

質問もアトピーということもあるので
匿名で疑問が解消できるように
配慮しているので疑問があれば
気軽に質問してください。

匿名で質問する:
https://peing.net/ja/648b62673debf9?event=0

一緒にアトピーを完治させ
平和で安全な人生をおくりましょう!

トシ

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